半島の論理 2019 9 23
「朝鮮半島は、思想的には、すでに北朝鮮によって統一されている」
今から数十年前は、韓国において、
北朝鮮を警戒する人や北朝鮮を恨む人が多かったのです。
なぜかと言えば、北朝鮮が始めた朝鮮戦争によって、
韓国では、軍民合わせて、数百万人が犠牲になりました。
だから、韓国人が北朝鮮を恨むのは、当然でした。
ところが、最近、韓国では、
朝鮮戦争のことを隠して、
日本の植民地支配が悪かったという論調が多いでしょう。
しかし、これは、正に北朝鮮が主張したいことです。
朝鮮戦争において、最初は、北朝鮮が圧勝して、
韓国を釜山まで追い詰めました。
ところが、アメリカが参戦すると形勢が逆転したのです。
逆に、北朝鮮が追い詰められることになったのです。
だから、北朝鮮にとっては、朝鮮戦争を隠して、
日本の植民地支配が悪かったという論法で、
朝鮮半島の統一を考えていたわけですが、
なぜか不思議なことに、最近は、韓国まで言い出したわけです。
さらに不思議なことは、
韓国にとっては、アメリカに大きな恩があるはずですが、
なぜか、韓国では、反米の人も多いのです。
北朝鮮が反米であることは当然ですが、
韓国まで反米であるのは論理的におかしいのです。
もちろん、北朝鮮が韓国を思想的に支配しているというならば、
論理的には筋が通ります。
朝鮮半島の伝統 2018 6 17
書名 結論! 朝鮮半島に関わってはいけない
2000年の伝統
「内紛と外国を巻き込むこと」が今も繰り返されている
著者 石 平 飛鳥新社
著者とともに「朝鮮戦争」を振り返ってみましょう。
1950年6月、北朝鮮の人民軍が38度線を越えて、
韓国に侵攻したことにより、朝鮮戦争は始まりました。
この戦争は、最終的には、
アメリカを中心とする国連軍と中国の義勇軍の戦いになりましたが、
この戦争による軍人と民間人の犠牲者は、
数百万人に上ると言われています。
戦争の終盤には、38度線付近で膠着状態になり、
そのまま休戦協定になっています。
つまり、数百万人の犠牲者を出しながら、
双方とも何も得るものはなかったのです。
北朝鮮側は、戦争を始めるにあたって、
ソ連のスターリンに承認を求めました。
しかし、スターリンは、おそらく、
「中国が賛成するならば」という条件を出したかもしれません。
一方、中国は、当時、
中華人民共和国が建国されて間もない状態だったので、
北朝鮮の戦争計画に賛成するはずがありませんでした。
毛沢東は、おそらく、
「韓国軍が38度線を越えれば、我々は参戦するが、
そうでなければ、我々は傍観する」という返事だったはずです。
にもかかわらず、北朝鮮は、
「中国から賛成が得られた」とスターリンに告げ、
朝鮮戦争に踏み切りました。
北朝鮮は、戦争の前半において、圧勝を重ね、
あっという間に、朝鮮半島の南端まで達しました。
そのため、韓国は、釜山を中心とする「都市国家」になりました。
これに対して、アメリカを中心とする国連軍が編成され、
1950年9月、仁川上陸作戦が敢行されると、形勢が大きく逆転します。
北朝鮮に占領されたソウルを回復することができました。
これで、朝鮮戦争は終わるはずでした。
アメリカのトルーマン大統領は、「38度線を超えてはならない」と厳命しました。
にもかかわらず、韓国の李承晩大統領は、
国連軍の一部である韓国軍に「38度線を越えて進軍せよ」と命じました。
この命令は、結果的には、中国軍(義勇軍)の介入を招き、
朝鮮戦争は、泥沼の戦いとなり、
双方とも、戦死者が増えるだけの「不毛の戦い」となりました。
しかしながら、北朝鮮は、スターリンと毛沢東を手玉に取ったという「政治的勝利」、
韓国は、トルーマンとマッカーサー元帥を手玉に取ったという
「政治的勝利」が得られたと主張するかもしれません。
このような歴史的経緯にうんざりしている、
アメリカ、中国、ロシアは、
「朝鮮半島には関わりたくない」というのが本音です。
おそらく、朝鮮半島を囲む「壁」を作って、
「壁の中で、北朝鮮と韓国は、気が済むまで戦ってほしい。
自分たちの内紛に外国を巻き込むな」と言いたいでしょう。
一方、北朝鮮と韓国は、「そうはさせない」と考えて、
アメリカ、中国、ロシア、日本に「内通者」を大量生産させているところが、
北朝鮮と韓国の「政治力」です。